「私は両親を完全にブロックしている訳ではなく、時と場合に応じて、両親が閲覧できなくなるようにするだけ」と話す靚靚さんは、少し前に学校を卒業し、大都市で独り暮らしをしている。時には、自分のネガティブな気持ちを「モーメンツ」に吐き出すこともある。だが、そのような気持ちを吐き出すことで、両親に余計な心配をかけたくないため、時には彼らをブロックすることもあるのだという。「私が広大な空を撮影した写真を投稿しただけで、両親から『どうしたの?』と質問される。両親からの質問攻めに対して、私はどう答えたら良いのか途方に暮れてしまう」と靚靚さんは話した。
また、主義主張のはっきりしている安さんは、「SNSでは、ほとんどの同僚をブロックしている」と言う。安さんは、「仕事は仕事、プライベートはプライベート」と割り切っており、「一つの企業に数百人の社員がおり、全社員と友人になることは不可能。良い友人が数人いればそれで充分。それ以外の人々は、仕事上の関係にとどまり、自分の私生活を彼らに知ってもらう必要などない」と強調した。
ブロックする相手の第2位となったのは「同僚」だった。安さんのように、自分自身の世界を大切にする若者の多くが、「仕事上の人間関係をプライベートライフに持ち込みたくない」と考えている。
屏蔽为我们重新划定了边界
心理学専門家の粟超氏は、「全ては、『境界線』が明確に定められていないことに起因する。人付き合いでの境界線が曖昧だと、さまざまなトラブルが起こる。ブロックは、そのようなトラブルを避け、境界線を引きなおすためのものだ」と指摘している。
そして、「我々若者世代のほとんどが一人っ子だ。両親は、我々に対して、溺愛が尊重を上回り、親子間の境界線が曖昧になってしまっている。だから、子供の方は、時には2つの役割を演じなければならない。ひとつは、両親とインタラクティブな関係を持っている自分で、もう一つは、自分だけの世界を持つ自分だ」としている。
粟超氏は、同僚や友人との関係と同様、相手が自分をブロックしていることを知ったとしても、必要以上に動揺すべきではないとし、そうでなければ、「ややエゴイスティック過ぎる」とした。
さらに、「1990年代生まれは、インターネット世代であり、技術的手段を用いてSNSをより快適に使いこなす方法を心得ている。これは、一種の進歩といえる。社交メディアの登場によって現代人の人間関係が偏ってきたという意見もあるが、私はそうは思わない。科学技術やツールそのものに罪はなく、間違っているのは人間の側だからだ。微信『モーメンツ』のグループ機能やハッシュタグなどのツールは、実際のところ、我々の役に立っている。現代社会には、微信以外に、短編動画共有アプリ『Tik Tok』や『小視頻』もある。ひと昔前の社交スタイルに戻ることは、もはやほぼ不可能といえるだろう」との見方を示した。